『サッカーを言語化する』

サッカーという競技のスキルの獲得を感覚として捉えることと、GOODHABITになるまでの短期長期の過程を言語化して表現することでスキルの獲得をスムーズにできることの2つの道があると考えられる。稀にであるが、選手自身が誰に教えられることもなく、スキルの獲得をしている選手もいるが、殆どの選手は、教えられることと、教えるという2つの立場で成り立ち、日本という社会の場合、言語化する方が、スムーズにスキルの獲得ができる。しかし、教えるという状況を周りに意識するあまり、無意識のスキルの獲得を有言化し、獲得する選手の立場では、指導者のコーチングの言語量が多すぎる場合がある。選手の吸収できる能力には個人差があり、どれくらい言語化して表現する言語量を受け取る選手の立場になって、指導することが必要である。
言語化とは、サッカーを共通言語として、誰しもその共通言語と言語の内容を理解していれば、タイミングのズレなど生じることはなく、サッカーをプレイの会話として楽しむことができる英語辞典のような双方のサッカー辞書のようなものである。

『サポートの考え方』

ボールを保持した選手への協力方法として、ボールを受けることであり、各選手がマークをされている状況を把握しながら、スペースでボールを受けるのか、足元でボールを受けるのか、判断しボールを供給していく必要がある。
サポートの方法として、①角度②距離③タイミングとあるが、
サポートしている選手の、手段として、角度をつけること 角度をつけすぎる必要もないこと、受ける選手の身体の向き、移動時のステップの方法、ファーストタッチの方法が必要であり、その手段を取りながら、ボールを受ける選手は、どこに次の供給先といい選択肢があるかどうかを考えながら移動していく必要がある。
視野の確保と、視野の確保から次のプレイができる手段の選択と、そのあとの攻撃守備への連動ができる位置への移動、またそれ以外の選手が攻撃守備の貢献ができるスペースの確保の出来る位置への変更が必要になる。

『李国秀さんの感想より』

毎回、代表選後に李さんの言葉が勉強になるが、
今回、チームのスピリットを表現する場面としては、ヘディングに競り勝つことで、チームを鼓舞することが出来たり、また逆に、普段ドリブルで突破することを武器として持っている選手が、パスを選択したときに、士気が下がることがあるという話は勉強になった。

『日本代表対ドイツ代表を観戦した感想』

2022年11月23日記念すべき本日日本代表はWCでドイツ代表を破った。
1993年にJリーグが生まれ、約30年の期間をかけて、一つの結果を残した。エンターテイメントととして熱狂したし、歴史的な試合を垣間見れたことに喜びを感じた。

公式記録は見ていないが相当数のシュートを打たれたが、日本代表は10試合に1試合か50試合に1試合か分からないが、ジャイアントキリングを起こした。
この後、コスタリカ、スペインとも負けられない試合が続くので2勝1敗で突破できないという可能性が残っていることも苛まれない。

ただ、前半の試合で2点目をとれなかった原因として、ドイツに運がなかったこともあった。運を味方にした日本が結果勝ったが、運に助けられる試合の価値とサッカーチームが本当の組織力と総合力を兼ね揃える地力を持つことの意味は違うと考えられる。

前半、相手のサイドハーフまで意図的に運び、突破するドイツの戦い方に対して、ドイツのトップの選手とドイツのサイドハーフの選手を、日本の酒井・遠藤・伊藤・センターバックで対応すべきだったが、その解をチームとして見つけることができないまま前半をしのいでしまった。しのいだというか運がよく、また運がいいというのも、日本代表の遠藤がゲームのスタートから前方のよせ、左右のよせ、カバーリングの位置まで行くポジショニングができないまま、しのげてしまっていた。遠藤は自分の位置までボールを運んでくる選手に対しての身体の強さはあるが、移動するスピードはベルマーレの頃よりも著しく落ちていると思われた。
またブロックを作って自陣で守るという事が、どういうコンセプトで共通認識を持つべきなのかという事も、分かりにくかった。ブロックを敷いている選手の横切るボールに対応する意識を持つことと、センターサークル以降の自陣で守備をする際には基本的なマンツーマンの意識を持たないと、相手チームは日本をはがしてくることは容易にできることである。前半はそれでも点が入らなかったことに、救われた戦いであった。

選手自身が、自分達で対応方法を変更すべきなのか、監督・コーチが一体どこにシステムのズレがあって1対1+1の状況が意図せずにできてしまっているのかという事を、スタメンの発表、ゲームの入りの段階でどのように変更し、ベテランの選手やリーダーシップの取れる選手が、危機管理をするかどうかの発信を早期にすべきこともあると考えられる。

選手のメンタリティとして、この30年の日本の歴史が、海外で活躍する選手も多いので、物おじしないメンタリティは価値のある産物だと考えられる。

スペイン、ドイツ、日本が2勝1敗で並んだ時の得失点差が、スペイン+6、ドイツ+5、日本+1ぐらいになってしまうと、厳しくなってくる。
そういえば86年のワールドカップだったか、中学生の頃に観戦した大会でもそういうのがあったような。ただし、サッカーファンとしては、生きててよかったと思った。

『リンクアンドモチベーションの研修でのこと』

毎年1回か2回会社での研修が実施されており、ある年にリンクアンドモチベーションの研修が開催された。2日間の研修であったが、一つは今までに経験してきたことの復習感と、もう一つは新たな知識の獲得もあった。

その中で話の置換法というのがあり、一つの話でも、そのストーリーから発生する目的が一緒でも話し方を置き換えることで、違った捉え方が出来るというものであった。

『鼓舞する力』

以前大変勉強になった会社の代表は圧倒的に集団を鼓舞する力が秀でていた。
言葉のチョイスが圧倒的で、10分の話でも60分の話でも70人の従業員に対して全体会議や営業会議で話をしていく際のスキルが圧倒的に優れていた。
話し方というのは、営業職での話し方、説明をする際の話し方、上司に対して、部下に対して、様々なシチュエーションでの話し方があるが、状況と場所に合わせて話し方を変更していかないといけない。
特に中小企業が法人を運営していく際に、周りの法人や、銀行との飲み会というか飲食の場面も多く、飲み会の際には男芸者のやり方を学び、会社内の管理維持・普段からの当たり前の規律に関しては、取引先との当たり前のマナー・銀行に対しての当たり前のマナーなど徹底して指導して頂いた。車で偉い方に同行いただく場合には、運転席の座席の位置など、細かく教えていただいた。
そういう場面場面での一流の知識や接待方法を指導される方は、日々のスキがなく、全員が集まる全体会議でのパフォーマンスの能力は圧倒的であった。
この会社の地域貢献とは・・
この会社のぞんざい価値とは・・
我々が営む事業がどのように社会貢献すべきなのか・・
ブランド価値を上げていく、ブラッシュアップしていく方法とは・・
全体の大きな話から、トイレ掃除の大切さから乾杯のグラスを合わせる際の位置とか・・
飲み屋で、『ママさんビール』というと叱られて『ください』をちゃんとつけるよう言われたことが懐かしい。

鼓舞する際の約40分から1時間の話を聞いた際には、70人の社員はこの会社に貢献するためにはどのようにしたらいいのかという事を、深く考えやる気に満ちていた。

『選手のストロングポイント』
選手を指導してスキルを伸ばしていく際に、選手の苦手な部分に目が行きどうしても選手のウィークポイントに目が行き過ぎて気になりすぎてしまうことが多いが、選手はウィークポイントを指導されることが、指摘だととらえ伸び伸びとスポーツの面白さを体現できないことがある。
そうなると、選手と指導者の心理的な溝が生まれてしまい、選手は指導者の言っていることつまり指導が頭に入ってこないようになってしまう。
選手の方も同じ話を何度も言われてしまうと、聞く姿勢の喪失に繋がってしまう。

それを回避するために考えることとして
選手の長所ストロングポイントを伸ばすことで短所の克服を実施することができる。
それか3つのことを褒めてから1つのことを修正することがいいが、1つのことを修正する際の話し方としては、切り口の違う伝え方をした方が、より信頼を損なわない人間関係の維持をすることができる。

長所を伸ばして言っていくと、選手は自信を持ち出し始めるので、短所が修正していく事がある。ただ放置してなおることがあるというわけではなく、言い方を変形させながら、接していく必要がある。

分母と分子

人から話をしてもらっている時の話の聞き方に関して、どのようにチーム内で共有するかという事が、組織内の言語化した個人のスキルと組織のスキルの流布と徹底になるかどうかという事が、チーム力の向上に差が生まれる。

『小さいもの、弱いものが、大きいもの強いものに勝つ方法』

コンビニの本部の仕事をしていた際に、どのようにして大手に勝てるかどうかの方法をなかなか真剣に個人としても会社としても考えて、実行していた時期があった。会社も柔軟な会社で、売上を上げる戦略の立案であったり、会社としてどのように戦うのかという戦略を真剣に議論して考えることのできる風土であった。
ランチェスター戦略の勉強も会社としてかなり力を入れて、実行したし、一点突破の重要性を組織として理解して、販促、現場での行動、商品戦略等、小さい会社ながら大きい流れを作って実施していった。
当時の社長も非常に対局を見据えながら、現場の声も吸い上げてくれていたので、大手が来るまでの戦い方、大手が出店してからの戦い方も、今考えると理にかなっていたし、納得しやり切っていた。
どの戦略一点突破をするのか、弊社としてどのようなビジョン・ミッションを共有し、日々の目の前の仕事に対してどのように取り組んでいくのかというしんどかったが、楽しくもあった時期であった。
一つのものを見極めブランド化し販促をかけて発信し、フランチャイズビジネスではあるが、組織として統一感を出しながら実施していく面白さはあった。

また、ブランドを磨きながら、実施していくのは現場の人間であるので、現場の社員とともに実施していく組織づくりは、サッカーチームの組織づくりと似ている。強い組織であるから徹底力があり、徹底力をつけるためにどのようにするべきなのかという、日々の組織のまとめ方が、強いサッカーチームの考え方に似ている。

『インステップキックの方法』

中学生の頃、インステップキックを蹴れるようになるためにいろいろな本を読んでみたが、つまさきを伸ばして、靴紐のところで蹴るように書いていた本が多かったが、これでまっすぐボールが飛ぶことはないまま20歳を超えていた。

ボールをまっすぐに蹴ることを様々試してみたが、
1,蹴る足はボールの横に置く。ボールの状態によるので真横に置くようにする。
2,蹴る足はつま先をぴんと伸ばして蹴ると、足首に負担がかかりすぎるので、足首に負担がかかりすぎないように、足首を固定する。

この足首を固定する方法について
足首をぴんと伸ばさないで、角度を保ったまま、少し足の親指、指を曲げる。曲げることで、足首がグラグラしない状態を作れる。この足首を固定する方法がなかなかわからなかったので中学生から大学の間はぴんと伸ばしただけで蹴っていたので、足首が痛かった。
また、インフロントキックを蹴る際にはボールを蹴る瞬間足のつま先を伸ばして固定するか、少し曲げて固定するかどちらかで固定して、蹴る瞬間足首がグラグラしないように、することで距離のあるボールを蹴ることができる。
またチップキックの際にはつま先はボールの下に入れないといけないので、足の親指から薬指までの間に力を入れて足首を固定することができる。

あとインステップキックを蹴る際に足首とボールの設置時間を長くすることによって、コントロールされたボールを蹴ることができることと、キックの際に腰から回しひざ下を平行にスライドするように蹴ることで、正確にまっすぐにボールを飛ばすことができる。

『自己開発能力の考え方をビジネスの世界で取り入れてみた』

自己開発能力とは、自身のスキル向上のために、相手がいない状態でも相手がいるという仮想の状態を脳の中に作り、相手がいない状態でも理想の相手を想像しながらトレーニングすることで、スキルの獲得までの時間を短縮する行為の事である。

これを仕事に当てはめると、一時期会社でコンサルの仕事をしており、コンサルの出来る社員を育てていく必要があり、税務的な指導までではないが、税引き前利益、P/L B/Sの指導、どのようにしたら集客の継続できるのか、どのようにしたら前年を超えていけるのか、どのようにしたら最大の前年比を出すことができるのかを指導する際に、自己開発能力の力が役立った。

店舗の従業員も10人から18人程度いるので、経営者も含めてどのようにしたら効果的な

『いい選手の条件』

バッドハビットが身についてしまうと、なかなか修正できにくいことが多い。
いい選手の一番の条件は、ドリブルの姿勢がいいことで、
ではドリブルの姿勢がいいという動作を細分化して言葉として表現すると

1、姿勢が伸びていること
2、上半身がリラックスできていること
3、上半身の手の力が抜けていること 上半身がリラックスできていることと、手の力が抜けていることは、次の動作に力を入れることができるという事
4、視野の広さがあること
5、いいボールの持ち方ができている いいボールの持ち方とは、ドリブルもできるパスもできるという位置にボールを常においているという事。(目のしたでボールを扱う・・・前方を見ながらボールが見える位置 足から30センチから40センチ前でボールを触るという事を知っている)
DFGKの選手と、スペース時間がないスペースでプレイしている選手とは、足からボールまでの距離が違う
6、パスができるドリブルができる位置でボールを触っているということを知っている

こと最近、動画での動作の細かい紹介で、足元の技術に注目をされがちでそれが出来たほうがいいが、サッカーのドリブルの姿勢にこだわって指導をしていると、トライアングロの際のファーストタッチの際の姿勢がいい。

『キックの際に気を付けること』 

ボールを蹴る際の動作と、ゴルフでクラブを使ってボールを打つ際の原則は似ている。
ボールを蹴る際に、味方の状態、敵の状態、スペースの状態、それを踏まえた味方とボール保持者との意思の決定をした際に、双方の意思の決定が確実な場合と不確実な場合がある。不確実な場合とは、サッカーのボールを繋げるという双方の意思の約束事の不一致があり、アイコンタクトから始まって・・・ヘッドダウンした場合までの双方のサッカー動作の理解度によって、ズレが生じるのでパスがつながらない。

シュートの際にも同様で、キックする瞬間にコース・DFの詰め・GKとの駆け引きに不安がある場合には、シュートの際にボールへの伝わる力が弱まり、相手にセーブされることが多い。

では、どういう動作がいいのかと考えると、ゴルフのクラブを振る際と同様に、最終的な意思決定をした後、ボールから目を離さないで顔が上がらないようにシュートをした方が、狙ったコースにボールが飛ぶ。顔が上がることによって、ボールに力が伝わらずに、若干の中心を蹴れていないズレが弱いシュートになってしまう。
ゴルフをしていると、ボールの中心を打った場合とボールの中心を外した場合と、直接手と腕に伝わってくるのでわかりやすいが、サッカーボールの場合では、ボールの中心を少し外した場合のボールの中心が蹴れていない感覚が分かりにくいので、なぜ?ゴールを外したのか指導の修正ができにくい。

『人の雰囲気とオーラと目で判断する』
部下の状況が一番わかるのは、後ろ姿と本人の目である。
その時に感じた直観はだいたいあっている。
元気があるのか迷っているのか、過程に問題があるのか、飲みすぎで体調が悪いのか、最初の直感で理解する。青白い表情の時もあれば、少し黒い顔色の時もある。

『組織の原理原則』

サッカーにしてもビジネスにしてもどのような組織が強いのかと経験してみると、
1ディシプリンがあること。
2ビジョン ミッションがはっきりしていること
3 個人個人のスキルベースがあることと、個人のストロングポイントが何なのかを意識的に上司と部下が共有していること
4 ストロングポイントとスキルベースの境目を容認できており、ストロングポイントを部下が発揮しやすい環境であること
5 ストレッチ予算と達成予算が共有されていること
6 組織内の言語の統一ができていること
7 上司は部下個人のスキルベースとストロングポイントを見極め1.5年3年後の明確な成長達成状態を共有できていること。
8 成果主義の弱点を理解すること。成果主義の弱点は引き算の評価になるので、部下が増えたり、目標数が増えたりすると、失敗の数が増える。挑戦する人は失敗が付きまとい、挑戦しない人は失敗をしない。という事の共通認識を持つこと。
9 目標の定量化ではなく具体的な定数化をすること。
10 表現の置換法ができること。やっている仕事に対して、置換法で表現できるスキルを共有すること。
11 哲学と思想があること。部下が育ってくると、組織内の会話が成熟し、上長の直属の部下が育ってくる。そういう部下が育つことで、責任を持たせられる環境に変換することができていく。

『リンク&モチベーションという会社から学んだこと』


『ビジョンの設定』

言語化していく際に、毎年決定していたことが、ビジョンとミッションの設定であった。ビジネスマン時代、その組織のビジョンとは何なのか、その組織のミッションとは何なのか。
ビジョンを定義する際に到達可能なあるべき姿なのか、到達不可能なあるべき姿なのか、なぜ到達不可能なあるべき姿を設定する必要があるのかという定義をしないと、ビジョンの認識のづれが発生した。

こういう話をしていくと、上司の人が理解できない世界になっていくので、大分類の組織の中では、話を合わしておいた方がいいが、
到達不可能な予算の設定、その状況・そのために実施すべきこと(TODO)の設定であった。そういう哲学で組織をまとめていた際には、どこの地区にも達成予算は負けることがなかった。ただし、上司との乖離は発生した。

ビジョンとして、定数化していく際に、会社の予算で流布した際には、必ずと言っていいほど、達成できない様子だった。
目標の設定をする際にストレッチ予算と達成予算の1つに分けて予算化することで、過程として達成予算は達成した。それではストレッチ予算を設定する必要は、どういう意味があるのかと、考えたときに

自分たちが作る組織は、
1、中予で1番
2、愛媛県で1番
3、四国で1番
4、西日本で1番
5、日本で1番
6、アジアで1番
7、世界で1番
のどこを目指していくのかという時に、アジアで通用する組織を作っていくという事が、過程として、日本や四国で1番の組織を作ることができた。

そうするとビジョンの言語としての認識、なぜストレッチ予算を設定するのか、という共通した認識を持つことができれば、強い人材・強い組織を作ることができた。

『サッカーの上達とドーナツ』

サッカーの上達に指導者として必要なことは、子供たちを夢中にさせることで、サッカーをすることが好きでたまらないと、思うように、コーチングをしていく事が大切だと思う。
どういう刺激を選手に与えられるかという事で、刺激とは、甘いもの・ドーナツを食べたり、衝動に駆られる満足感であり、サッカーをしたいという風に選手に動機づけできるかどうかである。
負というか、マイナスの動機付けでプラスの発想行為に向ける方法もたまには必要だと思うが、自分の経験上、3つほめて1ついけないところを指導しているときの方が、指導歩幅を超えて、選手自ら闘争心の発揮・チームのコントロール・コーチング・チーム内での修正をしていたように思う。

選手自ら、サッカーを深堀していく方向になっていくと、トライアングルを指導しなくても、選手ら自ら三角形を作って相手を翻弄していた。その時、教えなくてもいいことも選手が能動的にサッカーの原則を発揮していくのだと感じた。

『自己開発能力』

30年以上前、サッカークリニックに書いていたが、サッカーの上達の秘訣は自己開発能力であった。
自己開発能力という日本語の意味と、表現している意味の違いがあるかもしれないが、自己開発能力の言葉の使い方でサッカーのスキルの向上のスピード・短時間でスキルを身に着けるという事ができた。
自己開発能力の定義とは、相手がいない状態で相手がいる状況をイメージしてトレーニングすることで、相手がいるイメージは自由にできることで、相手=身近な同級生から日本代表・世界で活躍する選手誰でも想像でイメージすることで、自己開発能力という力というか状況を想像しながら、トレーニングさせていた。
また、おぼろげにイメージするのではなく、具体的にはっきりとイメージさせた方が、短期間でのスキルアップになった。
よく選手がグランドでボールを蹴ったり、フェイントの練習をしているが、相手を3Dでイメージしながらトレーニングすることが、上達に直結する。選手は案外かなり長い時間ボールを触っているが、ボールを触っている時間に上達が比例するのであれば、常に長時間トレーニングしているチーム・選手が勝ち上がる可能性が高いが、一概にそうではなく、いかにイメージしながらトレーニングするかという事が大切になってくる。

トレーニングとは動作の獲得のトレーニングではなく、脳の神経回路のシナプスの連結であり、心拍数をあげながらその正しい動作が90分においてできるかどうかで、スキルの成長とは脳のトレーニングだと考えると、個人でトレーニングする際に、相手をイメージする方法が、スキルの獲得の短時間化に繋がる。

『いつパスを出すのか』

もう25年前に李国秀さんのビデオを擦り切れるくらい見ていた時期があった。
いい選手の条件として、ボールの持ち方・ボールの中心をヒットすること・パスを出すタイミング・ボールを奪うタイミング等を指導されていた。インステップのパスの使い方もあった。
いい選手の基準として、上半身がリラックスできて、背筋が伸びていること
パスに関しては、いつパスを出すのか、どこに出すのか、どのような強さのパスを出すのか 
ボールの中心を扱う いいキックはボールの中心を扱うことと、ボールの中心を外すことでボールに回転をかける
ボールを奪うタイミングは いつ足を出しますか?という事であった。
ボールの持ち方とインステップパスのゲームの中での作用。

非常に言語化されていて、李さんの声の強さ、強弱もあり、理解しやすい教材であった。
特にインステップのパスはよくトレーニングに入れてみたが、最初は精度が低いがトレーニングによって右足か左足にどのような強さで出すかという事も少しずつできるようになった。
インサイドキックに対して、インステップのキックは、振りが小さいため、相手のDFはよみづらくインターセプトされる回数が少なくなってきた。
インステップのキックで短い距離のトップの選手の足元や、スルーパスができ始めて、横パスも同様なことができ始めると、相手は普段そういう環境に慣れていないので、狭いゾーンで時間を作るというか時間を奪うことができるようになっていった。

『勝ち負けが生じる理由とその対処』

ヒポクラテスの原則通り、体と心は繋がっているので、そのような状況になれば相手にスキが生じるのかという事が、攻めの一手になってくる。
慢心が生じる状態・90分の試合での乳酸がたまってきた状況での精度の低下・相手の気合・強い覚悟など


『PDCAサイクルを回す』

個人やチームの習熟度・身に着いたスキルの確認する方法は、トレーニングマッチであるべきか、普段のトレーニングであるべきか。
上手くなったとか上達したとか、評価基準は、あくまでもきちんとしたDFの対応に対してできているかどうかである。
つまり指導者の目線というか指導者の基準として、相手のDFのスキルレベルがどのような状況なのかという目線を確保していないと、一旦上達したアように見えてしまうことがある。
自チームの選手が試合で3人抜けたとしても、相手のDFが飛び込んでくるDFをしているのであれば、上達したように見えただけで、PDCAサイクルを回すという見方をすれば、Cのところで正確に指導者としての判断を下せていない。
その為、公式戦での評価とトレーニングでの評価をしていくときには、トレーニングでの成長が本当の成長ととらえる必要がある。
あくまでも正しいDFの方法で、OFのこの突破であったり、コンビでの突破ができているのかどうか、そのところを指導者として判断していく必要がある。
また選手が急に早くなったと感じることがあるが、錯覚で対戦相手の選手のランニングスピードが遅いという事がある。

ビジネスマン時代、特にPDCAサイクルを日々、仕事の大分類・中分類で検証していく事が、日常の癖であった。自分がどのように、部下に仕掛けというか、成長するプランを仕込んだり、売上向上のために、どのようにしたら100円1,000円10,000円売り上げを上げていく事ができるのか、事後検証としてチェック・検証後の評価をしていった。

日日の仕事に追われていたら、CAをすることを忘却しがちであるが、当時の会社の文化として、モチベーションの向上と、改善サイクルを回すという事について、講師の先生を呼んでいただいて、浸透していった。

本当の選手の評価をするためには、きちんとしたDFの対応ができているかという基準が必要になってくる。錯覚しているとPDCAサイクルで右肩上がりに成長していることではなく下降線となっている場合がある。

『中学生の時に見た出来事、恐るべし、御庄・城辺・一本松中学校』

県の総体は当時愛光学園の土のグランドで実施されており、自分たちは手伝いでいつもグランドに集合をしていた。
少し雨が降り始めた昼下がり、グランドでバチンバチンという音が聞こえてきた。??サッカー??バチンバチンという音も校舎の近くにいた自分たちの真反対の105メートル離れた向こうのゴールの方であった。その試合が御荘中対城辺中の試合で、自分たちがやっている競技と同じようには思えなかった。バチンという音は体と体がぶつかるときの音で、相手の突破に対して、ターンをして体を当てている際の音であった。
試合の内容も非常にレベルが高かった。

30代の頃、会社の部下に南宇和高校出身の部下が一人いたが、いつも嬉しそうにサッカーの話をしてくれた。特に印象に残っているのが、校内のクラスマッチがワールドクラスという話があった。
中学までサッカーをしていて高校で野球部やそれ以外の部活に入った生徒が、総勢でクラスマッチをすると、サッカー部以上に上手な人もいるので、クラスマッチのレベルがものすごくレベルが高かったらしい。

一度だけお会いした先生がいる。もうご逝去された方であるが、その先生が学校に赴任するたびに、学校中の生徒がサッカーを好きになって、始めるという御方であった。それは生徒みんなサッカー上手くなるよなと思った。

『ジャイアントキリング』

ジャイアントキリングの中から何を学ぶか。
中学生の頃、13歳で初めてサッカーをした。サッカー部に入った。本当は吹奏楽に入ったら人生は変わっていたのだろうが、吹奏楽に一切の未練はなく、サッカー部に入った。
身体も最も小さく中学3年生で153センチとしかなく、体育の先生をあきらめざるを得ない自分の身体的な未熟さと体であった。
中学生の頃はサッカーは厳しく楽しかった。雄新中学校という中学校で、仲間も多く当時はマンモス校で学年の学級数も15クラスもあった。どこを見ても人であった。サッカー部は松山サッカースクールでやっていた選手が少しいたが、ほとんどは中学から始めた素人であった。3学年で120人くらいの生徒がいたと思う。
中学時のサッカー部の先生は柴田喜清先生という非常に熱心な先生で、柴田先生も20歳代でバリバリ体が動き、プロの人だろうかと思うような感じだった。いつも先生の左足のシュートを浴びているGKは大丈夫だろうかと心配していた。
サッカーが夢中で大好きになり、部活の1時間前にはグランドに行って練習の準備をして、夜は友達とソフトボールのナイター中に19時半から21時くらいまでボールを蹴っていた。部活の練習も夏休みは8時半から16時までやっていたような時代であったが、そのせいなのか異常に体の基礎体力が強くなっていった。ただ体は部活で一番小さかった。またなにせよく走った。走っていると途中から不思議な感覚になり疲れないという日も多くあった。

当時松山市でサッカーの強かったのが、三津浜・高浜・垣生中学校が強く、一つ上の学年の総体は垣生中学校と試合をした。練習試合ではいつも7点ぐらい入れられて負けていた。当日は雨、グランドの状態は良くなかった。相手には中学生の日本代表候補が居たり四国選抜の選手が居たり、勝てるかどうかは分からなかったが、一つ上の先輩たちは、今まで勝てなかったチームに走り負けをせず気合で負けず、最後はPKで勝った。
気合・根性・走り負けしないというサッカーではあったが、四国大会にいくであろうチームを破ることができた。

この経験は29歳以降、ビジネスマン時代に、強い会社に勝つ方法、一点突破をする方法・会社のブランド力をブラッシュアップしていき一点突破をし戦う方法、総合力で負けていても、得意なところを磨くことで、勝つことができる組織づくりの際に役に立った。たしか、ランチェスター戦略とかなんかとか、言葉があった。

中学の頃、自分たちの年代では結果を出すことができず、いつも予選で負けていたが、一つ下の年代では県大会準優勝してたことが誇らしかった。

『大学生の頃、榊原潔先生』

大学生の頃、新潟の田舎の大学に行ってサッカーもしていたが、雨が多く、雪が多く、ノルウェーに住んでいるような、日本海を見たら演歌が聞こえてきそうな日々であった。
大学にいたころは、サッカー部の先生から聞いておらず、知らなかって、愛媛に帰ってきて気づいたことがあった。
筑波大学出身の先生で柳原先生という方だった。真摯な方でよくサッカーを教えてくれた。
私が高校生の頃、I君という同級生がみるみるサッカーのボール扱いというか、ボールタッチが上達して、なぜと思っていた。
I君が言うにはウィルクーバーとよく言っていたが??という感じだった。
そのI君は毎日重信から高校から通い、また部活から帰って近くの公園の光で、ウィルクーパーの本を1ページづずつ開きながら本がボロボロになるまで本を見ながら練習をしていた。当時サッカーの月刊誌でも連続写真でフェイントをみていた。
そのウィルクーパーの本も当時もう35年前の事なので、連続写真でI君もトレーニングをしていた。
高校生の私からしたら、そのA3の分厚い本は非常に高価なもので、買うには至らなかったが、その6年後に愛媛で指導をしていて初めて気づいたのが、その著者が大学時代お世話になった榊原潔先生であった。
それから約8年未満、クーパートレーニングが、スキルを身に着ける私のバイブルになり、その分厚い本を見ながらトレーニングの参考にしていた。

榊原先生も早く教えてくれてたらいいのに、榊原先生の指導から離れて、2年後のことであった。

『言語の意味を定義する』

言語の意味を組織の中で定義しないと、それぞれの認識の違いで、日本語でできている文章の認識そのものがそれぞれ違ってくる。
太陽が日本人にとっては、暖かいもの・恵みをもたらしてくれるものだが、赤道付近の人々に関しては、恵とは反対に灼熱のイメージがあるだろうし、その人々がどのような環境でどのような歴史で育ってきたかでズレが生じてくる。

小学生に、技術とスキルの違いを理解させることで、スキルという単語を使った会話をする場合に、ズレの少ない会話をすることができる。

技術とは、相手のいない状態でできる技であり、スキルとは相手のいる状態で使うことができる技であり、サッカー選手はスキルフルな選手になることで、状況状況の問題解決をすることができる。小学生の年代でも理解に対しての頭の柔らかさがあるので、スキルフルな選手になるという意味と、その言語が理解できたうえでのトレーニングを理解してくれていた。1年半指導した当時の選手たちは、プロ選手になったわけではないが、高校サッカー選手権の愛媛県大会に11名ほとんどが出場し、2校のキャプテンもした。

スキルとは
1、相手のいない状態でできるようにゆっくり
2、相手のいない状態でスピードをもって
3、相手をつけて(クーパートレーニング風の)
4、相手の強度を少しづつ挙げていく
5、相手が正しいDFをする中で、使える

1から5の方法で地道に取り組んでいく事であるが、1、2、3の時点で自己開発能力というキーワードが選手と指導者の共通言語として必要であった。

『哲学を持つ』

20歳代で哲学を持つ必要を真剣に考え、30歳代にビジネスマンとして働いた際に、言語を真剣に突き詰め、言語を集団の中で定義することの必要性を感じ、組織で哲学がなぜ必要なのかという事を、定義していったときに、組織は本当に強い力を身に着けだすという事が分かっていたので、ビジネスマン時代は本当に仕事もしたが、議論も多く行った。
様々な言葉の定義をしていったが、1970年時代にダイエーの中内氏が社員各自に定義してた、社内の言語の時点のようなものを見たことがあった。百貨店が謳歌した時代に成長していた企業とはどのようなものなのかと勉強になった。

言葉そのものは人それぞれ、言語の意味が違う。もしかしたら目で世の中を見ているが、見えている世界もそれぞれ違うのではないかと思うこともある。

戦略・戦術・戦闘という言語を40人の社員それぞれに聞いてみても、何グループかの捉え方に分けられる。その言語の意味合いが違うのに、本当に言葉が通じ合っているのかどうか?と考えられる。ただ哲学を持った組織が強い組織になるという哲学を持てない人たちが70%はいたし、強い組織をつくるという異質な状況を理解できない人も多かった。他人からしたら異質であったが、一つのことを徹底できる強い組織になる成長の過程自体分からない人が多かったんだと思う。

サッカーは11人のチームでのプレイなのでその組織内での言語の意味を共通理解しあわなければ、強いチームにはなりずらい。
戦略を練る・戦術を考える・戦闘する という言語の意味の統一で2時間も3時間も話し合っていたビジネスマンの時代があった。

『今は双海 昔は上灘』

大学生のころ、ちょうど暖かくなってきたころに、上灘のグランドのこけら落としで、大阪商業大学対立命館大学の試合を見に行った。解説は上田亮三郎先生だった。双海上灘は、長年サッカーどころで、生徒数は少ないけどサッカーの強い地域で、サッカー人口の割合が高かった。
大阪商業大学に杉山選手がいた。いたというより初めて見たが、この選手も驚くほど、ドリブルのスピードが速く、同じ人間には思えなかった。
竜巻が走っているような、感じだった。でも、こういう選手と戦いながら南宇和高校が,全国優勝したことは、新潟に住んでいた自分にとっては誇らしいことであった。
また、あーサッカーって、盛んになってくると、グランドに芝が敷かれて、いいな、と思っていた。

『小学生の年代でもボールの持ち方、キックの方法、半身でのターン、視野の確保、トライアングル、フェイントのトレーニング・クーパートレーニングを教えると、3年で美しい試合をし始める』

いい選手の条件として、姿勢のいい選手を育てるという事が、大切であった。ドリブルの際にボールウォッチャーになるのではなく、いい姿勢を保ったまま、ボールを受けボールを運ぶことができる選手を育成することあった。

バットハビットとグットハビットの概念も選手と共有しないといけないが、サッカーを始めた選手に最初からグットハビットを教えることができれば、バットハビットを修正する必要がなく、いい習慣づけの連続で指導ができた。

いい姿勢とは、クライフのような、上半身がリラックスできて姿勢のピンと伸びた選手で、当時は南宇和出身の選手は非常に多かった。
小学生中学生高校生と指導をして分かったことは、自分自身のキックの距離が伸びていくにもかかわらず、視野の範囲が伸ばせれない選手がいた。特にキック力の伸びていく少額5・6年中学2・3年、高校年代では、キックの距離と視野の広さの範囲の変化を意図して教えた方が、面白いサッカーができた。

小学生6年生の頃、地元のチームに来ていただいて、試合というかミニゲーム中心の試合をしてもらっていたが、週に2回しかトレーニングしていない選手らでも、ほぼ負けることがなかった。
それはクーパートレーニング等で、ボールを扱うスキルの向上もあるが、当時の表現で言えば、ボディシェイプ・視野の確保・受ける前に周りの状況を見る・ファーストタッチの方法・ボールの中心を扱う技術・アイコンタクト・トライアングル・コーチングの技術の指導の徹底であった。

いい姿勢でボールを扱うことのできる選手の試合は少年時代4対4や5対5の4分の1コートでの試合を多くしたが、見ている分でも美しかった。

『西田吉博選手という化け物』

南宇和高校の優勝で幕を閉じた平成元年の高校サッカーのあと、大学生だった私は神戸のグリーンスタジアム??だったか、なにせ神戸で総理大臣杯サッカーを同世代の選手たちはどのようなのか知りたくて、新潟から長野に住んでいる同級生と一緒に観戦しに行った。
同志社大学対立命館大学?金沢経済大学だったか?試合を見ていた。
試合を見ていると、歓声と同時に鳥肌が立った。同じ人間としてあり得ないスピードでスルーパスを受けてゴールに向かう選手を見た観客が・・一人の選手が走ったら応援しないといけないという歓声ではなく・・あまりにその選手の走るスピードが速すぎたので、ウオーという驚嘆の声がスタジアムにこだました。ウオーといううねりの声が、ウェーブのように襲ってき、人間ではない人間を見た恐れに近い感覚であった。ほぼ年齢も近い自分にとって、決して勝てないものを見た恐れに近い身震いであった。それが西田選手であった。チーターが走るところを生まれて初めて、映像で見た感覚と同じだった。

あんな化け物みたいな選手と南宇和の選手は毎日トレーニングをしていたのか・・うらやましいけど・・どうやって止めるの・・

『指導者の役割』

当時桐蔭学園の指導をされていた李国秀さんという指導者がおられて、よく分析をした。
ちょうど本も出されてその本に書かれていた内容で今でも感銘を受けた内容があり、
指導者とは
1、将来のビジョンを示し
2、それをわかりやすく伝え
3、集団を鼓舞する能力

を持っている人が、指導者であると定義をされていた。
また、人それぞれの言葉の認識がサッカーのズレに現れるという事が、なんとなく分かってきたころでもあった。
李さんの表現では、
哲学を持たないと指導者ではない 
サッカーを通じてスポーツの価値を上げていくということを言われていたように覚えている。

当時衛星放送で桐蔭学園の選手が駒澤大学でサッカーをしており、天皇杯でJリーグのチームと戦っており、戦っているというか、Jリーグのチームがボールを奪えないという戦いだった。サッカーを哲学として理解していくという集団は、このようなチームになるといういい意味でショックだった。


『足物語』
高校生の頃に書店で足物語という高松の教員をされている木村斉先生が書いた本を何回も読んでいた。弱小高校が、成長していく様をかいた物語であるが、読みやすく面白かった。

『強くなる環境を作る』

ある程度サッカーのスキルが身についていくと、中学3年生に試合をお願いしたり、一つ上のクラブチームに試合をお願いしていた。日曜の午後か夕方以降にお願いすることが多かったが、中学3年生のチームも勝つことがあった。
特にロングボールで崩そうとか、クリアして走れという指導をした記憶はない。一つ上のチームとやれる環境は非常によく、相手は体も中学3年生のような選手もいるし、いわゆる日本人が海外のチームと試合をする環境とよく似ていた。何試合か繰り返していくと、2カ月目くらいで少し勝てるようになっていた。

強くなることであったり、選手が自信を持つようになることの重要さは、付き合いでやる試合を減らして、本当に必要な試合をマッチメイクすることである。

『1対1のDFの方法を短期間で身に着ける 駒の原理』

少年団を指導していた1年半余り、平日は火曜日水曜日の2日間、週末は土曜日日曜日、ただし環境が非常によく、保護者のバックアップ体制は素晴らしく、また週末のトレーニングは人工芝を使えることがしばしばで、非常にサッカーのトレーニングができる環境は良かった。
ただし、トレーニングの日数が限られていたので、昔のようにやりたいテーマでのトレーニングはできない環境であった。

こだわってトレーニングしたのは、1対1であった。
まず1対1のDFの身体の使い方、ターンの方法、ターンのスピード、手の使い方などをはじめに教えた。教えたがいつもいつも同じことをコーチングするのではなく、立体的に教えた。
立体的というのは、私の表現であるが、いだ散歩で井田さんが言っていたが、
いわゆる、中秋の名月 というお題で、国語、理科、数学等の違う学問から表現すれば、相手がいつも新鮮な内容で受け取ることができるという事である。
同じ話は極力しない、なるべくしない、前にこう言ったじゃないかと指導者が考えることは指導者が伝える能力が達していないから、前にこう言ったよねという言い方はするべきではないと考える。

1対1の守備を教えていくと、チーム内の攻撃の能力が間違えなく上がっていった。指導し始めて6カ月たったころには当時の少年団では2チームほどいつも決勝まで行く常連のチームがあったが、そのチームと対等にやれるようになった。ほぼほぼ県内では負けることがなくなった。

DFの仕方の要素としては
1、姿勢
2、体重の割合
3、上半身のリラックス
4、前足の踏み切り方
5、外に行かれた際の踏み切り方
6、相手を誘って奪う DFの方が相手を誘導する
7、ターンのタイミングとスピード
8、バックステップからのターン
9、ステップの種類の獲得
10、上半身を回すタイミングとスピード
11、駒の慣性の法則を利用して体を回す

という事を考えたりしながら指導をしていた。

DFの身体の使い方を身に着けてからは、攻撃力をつけるために1対1と1対2で数的に不利な状況で、ドリブルで突破するという事をオモシロ楽しく、トレーニングしていった。
そうしていくと1年前に5点取られていたチームにも1年後には対等に勝負ができたし、バチバチに小学生が練習試合でやりきる試合も見ていって指導していて楽しかった。

『熊川哲也とサッカー』

94年95年の頃だと思うが、サッカーの世界や文化と言えるスポーツ芸術の世界で活躍していた人たちがまだまだ少なかったころ、熊川哲也がプリンシパルで活躍していた。
その頃はよく覚えてはいないが、熊川哲也さんの本を紀伊国屋書店で探してみたり、小澤征爾さん、あと蜷川幸雄さんの本を紀伊国屋書店の最上階でよく探していた。
何かサッカーの指導や、日本人が世界に通用するために何が必要なのかという事を、どこかに何かを探していた。

『ボールの中心を蹴るという事』

キックの技術を身に着ける際に、キックをした際のボールの音を聞き分けることで、トレーニングしている選手がいいキックができているか、いいキックができていないかを指導者として判断することができる。
南宇和高校の人たちのボールをける際の音を初めて聞いた際に、アレ??全然違うと初めて感じることができた。それまではボールの中心をけるという認識というか概念は全くなく、ボールを足首以下の部分で、蹴るという事や、イングランドサッカー教程に書いているように、インステップキックを蹴ってみたり、インサイドキック・インフロントキックを蹴ってみていた。さすがに自分自身でもイングランドのサッカー教程に書いている内容を忠実に再現していたつもりであったので、キックの手段はあっているものと思っていた。つもりであった。が、南宇和の人たちのボールを蹴る際の音や、ボールを止める際の音はキレイな音であった。胸のコントロール一つとっても、ポンというきれいな音でボールを止めていた。それがボールの中心を扱うというか、ボールの中心を蹴るという作業であった。これに初めて気づいたのが23歳か24歳の時であったので、それから中学生や高校生、小学生の高学年の子供たちと4号ボールや5号ボールを蹴りながら、ボールの中心を扱うという動作を身に着けていった。
確かにボールは止まるし、高校生達になると、ボールの回転数も考えながら、ホップするボールを蹴っている動作は、選手各自の身体的な能力の差はあるにしても、美しさがあった。
当時40歳くらいの選手でも、くさびのボールを見本で生徒にデモンストレーションをしていたが、30メートルの相手に、インステップで、相手の足元にダイレクト、相手のももにダイレクト、胸にダイレクトとこうやってやるんよと、見本を見せていた。失敗もせずにそれを当たり前に、ストレッチ等もしないでも、蹴っている姿を見たときには、カルチャーショックがあった。
それ以来、キックのトレーニングの際にはボールの音をよく聞きながら蹴ることと、ボールの音を聞きながらボールを止めること、ボールの中心を扱えているかどうかの確認、ボールの中心を扱えているときには、心地いい感覚があるという事を確認しながら指導をしていた。

『邦楽部に入ってみた』

大学の頃、なぜ日本人は世界で通用しないのかとその解を求めるため、邦楽部に入ってみた。日本人を理解することが邦楽の世界にあるような気がした。新潟でテレビを見ていた時に、青森県のリンゴの木の下で髙橋竹山先生が津軽三味線を弾いている素晴らしさを感じたこともあり、日本の音楽に何か解があるのかどうか興味があった。

『サッカーと金管』

小学生の頃、3年生から鼓笛隊に入りトランペットを習い始めて、4年生の夏くらいからユーフォニュウムを習い始めた。夏の暑い時期は、砥部の体育館で鼓笛隊の隊列を組みながらトランペットを水平に保ち歩き続け演舞し、また冬の南海放送での大会に向けて日々練習をした。おそらく人生の中であれほど練習したことは後にも先にもない経験だった。そのせいか中学生になる際そのまま吹奏楽に入っていれば、全国大会の金賞まで行ってたんだなと当時思ったが、その後悔は全くなかった。
今でも懐かしいが、詩人と農夫であったり、ルスランとリュドミュラであったり、なつかしい思い出であり、中学生の頃、サッカーボールをグランドで蹴っていた際に、後者の4階から聞こえるどろぼうカササギは、レコードと勘違いするくらい質の高いグランドミュージックであった。
小学生の頃の不思議な体験で、小学校の音楽の先生が指揮棒を振った時と、教えに来てくれていた、たしかヤマハの先生が指揮棒を振った時の、音の厚み・立体感が決定的に違っていた。指導される経験として初めて指導者の違いでこのような音の違いになるという事が身に染みて理解できた貴重な経験であった。音楽の先生もいつも一生懸命教えてくれていい先生であった。あれから続けて中学生で金管をやっていたらと考えたのは、中学生の吹奏楽の先生が圧倒的に凄かった。吹奏楽が全国大会に行く前に体育館で全校生徒を集めて演奏会があるが、燕尾服で現れた音楽の先生のオーラと熱烈な指揮姿はかっこよく今でも記憶に新しい。
グランドで毎日走りながら、最高のどろぼうカササギを聞けたことは、しんどかったが、幸せなことでもあった。
大学生になり、猛烈に読書をしていた時期に出会ったのが、サル学の現在、青春漂流などを書いていた立花隆さんの本であった。サル学の現在を通読し、京都大学の先生が書いた本など読みあさって、自分の理科のコースには無い講義を受講し、運動生理学の勉強などよくしていた。
その時期によく読んでいたのが、小澤征爾さん、斎藤秀雄さんの本で、片っ端から読んでいった。
当時、サッカー部には入っていたが、サッカーの本質が分からず、サッカーをしていた。
ただし小澤征爾さん、斎藤秀雄さんがどのように世界で通用していたのか、特に斎藤秀雄さんの指揮法教程で指揮の動きを分解して、その要素を指導することであったり、その動きでオーケストラから音を引き出すことができるんだと、少し考えるようになっていった。カラヤンであったり、バーンスタインであったり、世界の指揮者がどのように指揮をするのかという分析を少ししてみたが、指揮は難しい。アグレッシブな音楽の先生のカリスマ性を見たことも、経験としてよかった。

『インステップキック再考』

インステップキックってどのように蹴るか知ってますか?と22歳の頃の私は高知県佐川町出身の選手に言われたことがある。
昔からどの指導本を読んでもしっくりこず、紐のところで蹴るという作業を12歳から22歳まで続けてきたがしっくりこず、、
高知県佐川町に当時和田先生という、素晴らしい選手を輩出していた地域があり、何人か愛媛県にも来ていた。
それらの選手は口をそろえて、『靴の中で指を少し曲げるといいですよ』と言っていた。
それからインステップキックをトレーニングしたら格段と上達し、インステップのホップしたボールも少し蹴れるようになっていった。

それから28年、久しぶりにインステップキックをふと考えて蹴り方を変えてみた。変えてみたというか、指を曲げるところまでは一緒だが、蹴る瞬間、完全に足首を固定してみた。具体的に表現すると、ゴルフのクラブのように全くグラグラしないように、蹴ってみると、今までにないくらい強いボールが蹴れることに50歳で気が付いた。

そう考えると、今まで接してきた選手の中で、シュートの際のスピードが速くて同じモーションで同じコースに蹴れていた選手がいた。そういった選手はキックの際に足首の固定が他の人以上にできていたのではないかと考えられる。

あと、そのような足首の固定をすると、足の関節の痛みが少ないことに気が付いた。

『選手の吹き出しに何が出ているか』

ゲームの中では、11人の選手は相手選手11人合計22人選手がいる中で、プレイしている。味方同士が意思が合わないのは、受け手の選手の情報量と、パスを出す選手の情報量と双方のプレイ方法の決定の差があるので、プレイの選択から生じる決定の差が生まれる。
受け手と出し手の情報量と、決定の約束事が決まっていれば、その差は発生しずらい。
その際の選手の特徴はどのような特徴なのか、6秒9で走るのか6秒2でh氏のことができるのかという選手の身体的な能力やファーストタッチがどれくらい上手いのかということで、パサーは受け手にどのようなパスが必要なのかということが決定される。細部に至れば右足に出すのか左足に出すのかということや、どのような強度のパスを出すのかということが決定に必要になってくる。
『選手の吹き出しに何が出ているか』というゲームの見方をすると、選手の意図が何であり、選手のミスの原因がどのようなミスであるのかという事が分析され、現象面でのミスの原因が、技術的なのか戦術的なのか、判断のミスなのか、また判断のミスの原因は視野の確保の問題なのかという事をくみ取る必要がある。
そのため選手のプレイを見るだけではなく、漫画のように選手の吹き出しを見ることで原因が理解できることがある。

2022年9月

『科学とサッカー』

もともと理科の先生を目指していたせいか、サッカーを要素に分解する癖が昔からあり、サッカーの1スキルがどのように分解できそのスキルをどのようなトレーニングを行い、どのように短期間で身に着けていけるかどうかということが、指導者としての癖であった。
今のユーチューブを見ていると、昔よりいい意味でドリブルの動作分解や、フェイント動作の分解ができトレーニング方法が具体的になっており、この30年前よりも指導自体が細部に至ってまで細かくなっていると感じられる。

2022年9月